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Aspects of language and culture, by Jeff
~言葉と文化のとらえ方~

第162回 フィリップ殿下

5/17/2021

 
女王の配偶者フィリップ殿下が99歳で亡くなったことは皆さんも新聞やテレビで見聞きしたかもしれません。1947年に女王と結婚して殿下となったフィリップ殿下は、イギリス史上最も在位期間の長い殿下でした。
与えられている爵位や称号をすべて並べると、フィリップ殿下、エディンバラ公爵、メリオネス伯爵、グリニッジ男爵となりますが、彼は1921年にギリシャのコルフ島で生まれました。デンマーク王国とギリシャ王国両方の王子でした。その頃、希土戦争でギリシャの戦況が悪化していて両親は政府から疑いの目を向けられていました。フィリップ殿下の父親アンドリュー王子は命が危険であると思われていましたし、アリス妃は取り調べを受けていました。とうとう12月に革命裁判によってアンドリュー王子はギリシャから永久追放となりました。
フィリップは果物の箱で作ったベビーベッドで安全に運ばれ、イギリスの戦艦がアンドリュー王子の家族を避難させました。4人の姉を含むフィリップの家族はフランスに行き、パリの郊外サン=クルーで生活を始めました。
1930年にパリのアメリカンスクールで学んだ後、フィリップはイギリスへ渡り母方の祖母ヴィクトリア・マウントバッテンと叔父ジョージ・マウントバッテンと共にロンドンのケンジントン宮殿で暮らしながらチームスクールに通いました。一方、姉たちはドイツの王子と結婚してドイツに移り住み、母親は統合失調症と診断され保護施設に入り、父親はモンテカルロに居を構えました。フィリップはその後の少年時代、母親にほとんど会いませんでした。
フィリップはのちにチャールズ皇太子も通わせるスコットランドの寄宿学校ゴードンストウンスクールに進み勉学を続けました。卒業すると海軍兵士として1ターム訓練を受け、ギリシャに戻りアテネで一カ月間母親と一緒に暮らしました。1939年9月に海軍の訓練を再開し、翌年、コースの中で最も優秀な士官候補生として卒業しました。
フィリップは海軍で素晴らしい功績を残し、いくつかの賞を獲得しました。戦後、彼は教官になりました。
1939年、国王ジョージ6世が妻と幼い二人の娘を連れてダートマスの王立海軍大学を見学しました。国王の訪問中、フィリップは娘のエリザベスとマーガレットの案内役を頼まれました。エリザベスがフィリップに恋をして、二人は彼女が13歳の時に文通を始めました。
1946年、フィリップは国王に「娘との結婚の承諾」を求めました。そして、国王は2人の結婚を認めました。1947年の3月までにフィリップはギリシャとデンマークの王室の称号を放棄し、母方の姓であるマウントバッテンを名乗ることを選択し、国籍を取得してイギリス国民となりました。
2人は国王の望みどおりエリザベスが21歳であった1947年11月20日に結婚しました。ウェストミンスター寺院での結婚式の様子はBBCラジオで世界中の2億人の人々に伝えられました。
1952年2月6日、国王が崩御し、フィリップとコモンウェルスを周遊していたエリザベスが女王になりました。フィリップは常に女王の公務をサポートし、そのことに人生を捧げていました。
生前、フィリップは多くのことを成し遂げました。若者を称えるプログラムであるエディンバラ公賞を設立し、設立以来144か国にまで拡大させました。この賞はカート・ハーンの「現代の若者の6つの衰退」に対する解決策をモデルとした一連の自己啓発のエクササイズを終了した青少年を表彰するものです。
フィリップは800もの団体を支援していましたが、特に環境、産業、スポーツ、教育に力を入れていました。彼のエディンバラ公爵として単独での最初の公務はロイヤル・アルバート・ホールで行われたロンドン少年クラブ連盟のボクシングの決勝戦で賞を授与することでした。フィリップは2013年に孫のウィリアム王子が引き継ぐまで1947年から64年間 国立競技場協会の会長を務めました。また、1951年には王立学会のフェローに任命されました。そして、1952年には産業協会の後援者になりました。1955~1957年はサッカー連盟の会長でした。また、1959年から1965年の間は英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)の会長でした。1961年には世界自然保護基金の設立を援助し、1961年から1982年まで英国の会長を務め、1981年からは総裁となり、1996年からは名誉総裁となりました。
フィリップはポロの選手、御者、ヨット操縦士、パイロットでもありました。また油絵を描き、1952年から2011年まで英国王立技芸協会の後援者でした。
フィリップの気取らないフレンドリーな性格については、あるホワイトハウスの執事が、1979年の訪米時にフィリップが自分と仲間の執事と一緒に会話をし、飲み物を注いでくれたと証言しています。それと同時に、何でも遠慮せず率直に物を言うことでも知られ、フィリップは時々、解釈によっては面白いとも失言ともとられる意見や冗談を言うことでも有名でした。その発言は場にそぐわなかったり、政治的に誤りであったり、または攻撃的でさえあることもありましたが、彼の年代や立場の人によくありがちなものと思われることもありました。
フィリップ殿下の逝去は一時代の終わりを告げています。女王は夫の死について「人生にぽっかり大きな穴が開いたようだ」と述べたと報道されています。王制の未来がどうなるかは誰にも分かりません。
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    筆者

    Jeff
    イギリス、ランカシャー出身。1992年からYTBのエディターとして活躍。その他にも大阪大学、関西大学、大阪外語大学で教壇に立っている。大阪在住。

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