長い間待っていました。リバプールがイングランドのチャンピオンになってから30年、プレミアリーグ時代は一度もタイトルを獲得したことがありませんでした。そうです、いつも惜しいところまでいき、ほぼ毎回上位6チームに入り、何度も2位や3位になっていますが、トップにはなれずにいました。しかし、2015年にユルゲン・クロップが監督になってから変わり始めました。相手にボールを奪われたらすぐに相手陣地でプレスをかけてボールを奪い返すというクロップ監督の特徴的なスタイルのゲーゲンプレスによって、リバプールのサッカーは様変わりしました。
クロップ監督率いるリバプールの最初の大きな功績は、2019年に2年連続で決勝に進み、チーム6度目となるチャンピオンズリーグのタイトルを獲得したことです。マンチェスターシティがあまりにも素晴らしく、リバプールのタイトル獲得を阻んでいましたが、今はその強敵をも克服しました。クリスマスまではマンチェスターシティがリードしていましたが、その後リバプールが28勝1敗2引き分けで、マンチェスターシティの63ポイントを23ポイント上回る86ポイントでタイトルを獲得しています。シーズン終了時には歴代最高ポイントを達成するかもしれません。 昔ながらのリバプールファンにとっては、今の状態こそが本来あるべき姿です。リバプールは1964年に17年ぶりにタイトルを獲得し一部リーグに再び昇格した60年代前半に台頭し始めました。当時チームを率いていたのは、リバプールの黄金時代を築いた伝説のスコットランド人監督ビル・シャンクリーと、その後順番に監督になったボブ・ペイズリーコーチ、そしてジョー・ファーガンコーチでした。シャンクリー監督にはかの有名な「フットボールは生き死にの問題ではない。それよりももっと重要だ」という名言があります。 1970年代と1980年代、リバプールはイングランド、ヨーロッパ、そしてほぼ間違いなく世界で最も素晴らしいチームでした。シャンクリー監督のもとで、リバプールは64年、66年、73年にイングランドでタイトルを獲得しました。65年と74年にはFAカップで優勝し、1973年にはUEFAカップで優勝しました。シャンクリー監督の退任後はボブ・プレイズリーが監督を引き継ぎました。 1976年、ペイズリー監督2年目のシーズンにチームは再度リーグで優勝し、UEFAカップも獲得しました。次のシーズン、チームはリーグタイトルを守り、チャンピオンズリーグで初めて優勝しましたが、1977年のFAカップ決勝で敗れました。1978年はチャンピオンズリーグで連覇し、1979年には一部リーグのタイトルを奪還しました。ペイズリーが監督を務めた9シーズンのあいだ、リバプールはチャンピオンズリーグ優勝3回、UEFAカップ優勝1回、リーグ優勝6回、リーグカップ3連覇を含む20のトロフィーを勝ち取りました。国内で獲得できなかったトロフィーはFAカップのみでした。 ペイズリーの後任監督ジョー・ファーガンのもとでは、リバプールはリーグタイトル、リーグカップ、チャンピオンズリーグタイトルを最初のシーズンに獲得し、1シーズンで3冠を達成した初のイングランドのチームとなりました。 この後も多くの功績が続き、リバプールは他のイングランドのチームのどこよりも多い6回のチャンピオンズリーグ優勝、3回のUEFAカップ優勝と4回のUEFAスーパーカップ優勝(いずれもイングランドで最多)、1回のFIFAクラブワールドカップ優勝、19回のリーグ優勝、7回のFAカップ優勝、史上最多8回のリーグカップ優勝、そして15回のFAコミュニティー・シールド優勝を収めています。 これは非常に立派な功績で、リバプールは再びイングランド絶頂期に突入するかもしれません。 |
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7月 2022
筆者Jeff |