無声映画を見たことはありますか?今日では無声映画はほとんど忘れられ、一般的に、粗野で時代遅れだと思われていますが、実際には驚くほど精巧で、進んだ技術が用いられています。無声映画というと白黒のみと思うかもしれませんが、実は1930年代には無声映画のほうが“発声映画”または“トーキー映画”よりもカラー作品が多くありました。それらには手で色を付けていたものもありますが、テクニカラーなどの着色手法を用いたものもありました。1930年代後半に監督、俳優、スタッフがこの新たなメディアに完全に慣れるまで、多くの批評家は音声時代の初期に映画の芸術的良さが失われたという意見を持っていました。
“無声時代”は1894年から1929年まで続いたと言えるでしょう。それは技術的そして芸術的に大きな革命期でした。フランス印象派(『戦争と平和』(原題:J’Accuse、1919年))、ドイツ表現主義(『カリガリ博士』(原題:The Cabinet of Dr. Caligari、1920年)、ソビエトモンタージュ(『戦艦ポチョムキン』(原題:Battleship Potemkin、1925年)、そしてもちろんアメリカのハリウッド映画などの映画ムーブメントが大きく前進しました。20世紀および21世紀のほとんどすべてのスタイルやジャンルのルーツが無声時代にあるといってもよいでしょう。実際、スリーポイントライティング、クローズアップ、ロングショット、パンニング、継続的編集などの技術はすべて音声時代よりもはるか前に開発されていました。 ハリウッド 1910年代初期、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のハリウッドがアメリカ映画製作の中心地となり、1912年までに複数の大手映画会社が製作所を設立しました。ハリウッドには東部のトーマス・エジソンの映画特許権の多くがまだ及んでいませんでした。また、天候がよく、山や平原にも近く、土地代も安価でした。 ハリウッドのスタイルは描写的および視覚的で、現在までそのスタイルが世界中の映画の主流となっています。 ハリウッドはイギリスのコメディアン、チャーリー・チャップリンや(ローレル&ハーディの)スタン・ローレル、“胸をときめかす存在”であるグレタ・ガルボ、その他大勢を含む世界中の映画製作者たちをすぐに魅了しました。 偉大な監督たち その時代の偉大な監督たちの中で、おそらく最も優れた無声映画監督は、革新的な技術と物語を語る優れた力を持ったD.W.グリフィスでした。彼の作品の中で最も有名なのは議論を呼んだものの非常に人気があった『國民の創生』(原題:Birth of a Nation、1915年)と『東への道』(原題:Way Down East、1920年)です。同じような監督には、同じく壮大でアクション満載の映画を製作したキング・ヴィダー(『ビッグ・パレード』(原題:The Big Parade、1925年))やセシル・B・デミル(『十戒』(原題:The Ten Commandments 、1923年))がいます。コメディのジャンルでは、チャーリー・チャップリンが『黄金狂時代』(原題:The Gold Rush、1925年)と『サーカス』(原題:The Circus、1928年)で大成功しました。俳優兼監督のオーソン・ウェルズが「最も成功したコメディ映画であり、おそらく過去最高の映画である」と述べた『キートンの蒸気船』(原題:Steamboat Bill, Jr 、1928年)や『キートン将軍』(原題:The General 、1926年)のバスター・キートンも忘れてはいけません。 演劇スタイル もともと無声映画の演劇スタイルはボディーランゲージや顔の表情を強調した大げさで芝居がかったものでした。当時はそれが人気でしたが、現代の観客にはあまりにも単純に思えるかもしれません。次第に、より現実的な手法が取られるようになりました。クローズアップの技術が導入されると、演技はより控えめに、より現実的になりました。“アメリカ映画のファースト・レディ”として知られる大人気のリリアン・ギッシュは、舞台の演劇スタイルとは異なる新しい技術を開拓したため、“最初の真の女優”と呼ばれました。彼女の女優としてのキャリアは1912年から1987年まで続きました。素晴らしいですね! 音声 無声映画は決して本当に“無声”だったわけではありません。雰囲気を醸し出したり、観客に感情のヒントを与えたりするために常に音楽が用いられました。小さい映画館ではピアノが使用されていたでしょうし、もう少し大きな映画館では音楽家のグループやオルガンであったでしょう。最も大きな映画館では、オーケストラの音色に加え、鳥のさえずり、雨音、波の音、車のクラクションや銃声まで様々な音を再現することができるマイティー・ワーリッツァー(Mighty Wurlitzer)などの巨大なオルガンが用いられていたと思われます。 同じころ、日本では音楽に加え、物語を解説し、出演者の台詞を話す“活動弁士”がいました。無声映画が日本で1930年代まで続いた理由の一つは彼らの人気にありました。今でもテレビドラマの中には活動弁士の語りが入るものもあります。 インタータイトル 非ネイティブの観客にとって、無声映画の最も魅力的な要素の一つはスクリーンに映し出される文章であるインタータイトルです。これは物語のポイントを説明したり、動作にコメントを付けたり、主な台詞を表示したりするものです。現代の作品で台詞についていくのが難しいと感じるのであれば、無声映画をお勧めします。古典映画の多くはリマスター版としてDVDで視聴することができます。インターネットでも購入できますし、地元のビデオ屋にもいくつか置いてあるでしょう。それらをぜひ試してみてください。私も定期的に無声映画を観ますが、がっかりしたことはありません。 コメントの受け付けは終了しました。
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7月 2022
筆者Jeff |