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Aspects of language and culture, by Jeff
~言葉と文化のとらえ方~

第107回 イギリス史に残る出来事-あなたの知らない「アルマダの海戦」を覗く

7/6/2016

 
遡ること数世紀、大勢の兵士を乗せた大艦隊が、程近い島に侵略しようとする光景を思い浮かべてください。でもこれは日本侵攻を目論むフビライハン率いるモンゴル遊牧民の大群ではなく、イギリス侵略を狙うフェリペ2世率いるスペイン艦隊です。
 
まずはその歴史を少し紐解いてみましょう。16世紀、イギリス国王ヘンリー8世が国内の宗教改革に着手し、ローマ帝国およびローマ教皇の権力からイギリス国教会を分離独立させました。その息子エドワード6世が改革を引き継ぎましたが、病身であったエドワード6世が亡くなると、姉のメアリー1世が王位に就きました。敬虔なローマカトリック教徒であるメアリー1世は、こうした改革を強引に押し戻し、「血まみれのメアリー(Bloody Mary)」というニックネームが付けられました。その後メアリー1世は、同じく敬虔なカトリック教徒であるスペインのフェリペ2世と結婚しました。
 
メアリーが1558年に死去すると、敬虔なプロテスタントである妹のエリザベス1世が王位に就き、国家の主柱をもとのイギリス国教会に戻しました。フェリペは、エリザベスを違法な統治者とみなし、イギリス侵略とともに、カトリックへの回帰を目指すことを宣言。それに対しエリザベスは、スペインと対立するオランダの革命を支持し、スペインの財宝船を狙う私掠船(国公認の海賊)を支援して、フェリペの圧力に対抗したのです。
 
当時スペインは、欧州で最も裕福で強大な国家であり、欧州をはじめ、「新世界」(アメリカ大陸)やフィリピンにも王国を築いていました。金銀、宝石といった外国の財宝を積んだ「ガリオン」船が、大西洋を横断して毎年スペインまで航海していました。
 
1588年8月、メディナ・シドニア公の司令のもと、スペイン艦隊「アルマダ」130隻が、イギリス海峡に向けてア・コリューニャ港を出港しました。そのうち28隻が大型軍艦、34隻が小型船、残りが大型武装船でした。乗組員は水夫8,000名に加えて、真鍮製の銃1,500丁、鉄製の銃1,000丁を装備した兵士18,000名でした。パルマ公率いるスペイン領ネーデルラント30,000名の部隊は、ロンドン近郊に渡る艀に乗ろうと、アルマダの到着を待っていました。
 
プリマスの港で待ち伏せていたのは、サー・フランシス・ドレイク海軍中将率いるスペイン船を狙うイギリス艦隊の私掠船でした。ドレイク氏は、世界で2番目に世界一周航海を果たした人物です。イギリス艦隊は、船の数ではスペイン軍に勝っていたものの、その多くはスペイン船よりも軽く、武器の数はスペインの半分でした。さらにイギリス軍は火薬不足に陥っていました。
 
7月19日、イギリス海峡リザードポイント沖でアルマダの姿が目撃されました。のろしが上がり、その合図は海岸伝いに瞬く間に伝わりました。プリマスにいたドレイクにその知らせが届いたとき、彼はボウリングの真最中でした。その知らせを受けたときのドレイクの言葉、「まだ時間があるから、このゲームが終わったらスペイン軍を打ち負かす」は有名です。(このあまりに有名なエピソードは、その真相は定かではありませんが、兵士の力強い心中が見て取れます。*)
 
潮目が変わるのを待ち、イギリス船55隻はプリマスを出港しスペイン艦隊の後を追いました。7月21日、夜明けとともにイギリス軍は攻撃を仕掛けました。この交戦は決定的な打撃を与えられないまま終わり、スペイン艦隊は航海を続けました。しかしドレイクは2隻のスペイン船を捕え、そこには待ち望んでいた火薬が積まれており、パルマの船には金が積まれていました。
 
7月23日、両艦隊はポートランドで再度交戦しました。この戦いでは、イギリスの小型船が、そのスピードと機動力を武器にスペイン軍を倒しました。
 
ポーツマス沖のソレント海峡で停泊できなかったスペイン艦隊は、フランスの港町カレーを目指すことを強いられました。カレーでは、スペイン艦隊は防衛態勢を固め、パルマ率いる軍隊を待ちました。疫病で兵士の数は16,000名まで減り、艀の手配も整えられていませんでした。
 
7月28日深夜、イギリス軍は、「火船」(松脂、硫黄、火薬、タールを満載した)8隻をスペイン艦隊目がけて送り出しました。スペイン艦隊は混乱状態に陥り、錨を切り、港から逃げ出しました。難破船こそでなかったものの、陣形は崩れ、艦隊は分散してしまいました。
 
メディナ・シドニア公は、グラヴリーヌのスペイン領ネーデルラント港付近に味方の艦隊を集め再編を試みました。そこにイギリス軍が襲撃をしかけました。火薬不足ではあったものの、スペイン軍の戦略を見抜いていた分イギリス軍が有利でした。当時のスペイン軍の戦術は、まず掌砲手が舷側に向けて発砲してから、索具に登り、戦闘員として敵の船への侵入を図るというものでした。しかしイギリス軍は敵との距離を保ちながら、スペイン船に砲火を浴びせたのです。残っていたのは砲に配置されていた兵士だけで、彼らは銃の撃ち方を知りませんでした。
 
スペイン船に大打撃を与えたイギリス船は、午後4時ころ火薬不足のために撤退しました。スペイン船の多くは沈没し、甚大な損傷を負った船も多数ありました。
 
翌日、風向きが変わり、メディナ・シドニア公は北に抜けることができ、そこでパルマ軍と別れました。イギリス軍は船には火薬がほとんど残されていませんでしたが、スコットランドのエディンバラ近郊にあるフォース湾まで後を追いました。
 
スペイン軍は当初、順調に航海すれば、スコットランドからアイルランドに回りスペインに戻る予定でした。しかし航海上のミスと、「ゲイル」(強風と強い波)により、艦隊はアイルランドに流されました。船の状態は悪く、船員には十分な食料や水が残っていませんでした。カレーから撤退した際に多くの錨を失ったため、艦隊はアイルランドの岩礁に乗り上げてしまいました。溺死や餓死、そしてイギリス軍の虐殺による死亡者は延べ5,000人と推定されています。
 
最終的にスペインに帰還した船は、わずか67隻であり、船員は10,000名も残っていませんでした。その多くは病気や飢餓で瀕死の状態でした。イギリス軍は大勝利を収めましたが、スペインにとっては重大な敗北となりました。フェリペ2世は、「アルマダを送ったのは人間と戦わせるためであり、天なる風や波との闘いは想定していなかった」と語っています。
 
*かつてドレイクは遠征隊を率い、たびたびスペイン軍と戦い勝利を収めていました。最初の遠征では、スペインの街、ビーゴを襲撃し2週間に渡り街を占拠した後に、カーボベルデ諸島、サンティアゴの街を略奪、そしてサントドミンゴも略奪しました。さらに現在のコロンビアにある、カルタヘナの街を占拠し、フロリダ州、セントオーガスティンを奇襲しました。
 
2度目の遠征では、スペインの主要港である、カディスとコルーニャに艦隊を乗り入れて、「スペイン国王の口髭を燃やし」、港を占拠し、軍艦と商船、延べ37隻を大破しました。このため侵略に1年以上の遅れが生じました。
 
ドレイクは、ドラゴンを意味する「El Draque」(エル・ドラケ)として、スペインにその名を馳せ、フェリペ王は、ドレイクの首と引き換えにダカット金貨20,000枚(今の金額で約650万ドル)を出すと言い渡しました。

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